幼児教育とグローバル基準の保育

幼児のファンタジーな世界と無限の可能性。小さな発見やフローの積み重ねからイノベーティブな未来を創る。有能感を持った自立した人間として、生涯を通して学び続ける資質を持って成長できるよう、今しかできない幼少期の土台作りを支援します。



Moment of Self Discovery

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年長の当時、それほど文字を書く活動に興味を示さず、友達同士で行う手紙交換もしなかった子が、卒園して「園の先生に伝えたいことがある」と言ってくれたようで手紙を書き、親御さんが届けてくれました。そこには「園で登山につれていってくれてありがとう」と、しっかりした筆圧と文字で気持ちが表現されていました。親御さんに聞けば、園で登山をした体験が本当に楽しかったようで、家族でも山登りをすることになり、それによってきっかけとなった園での登山のことを今になって思い出し、自分の気持ちとして、文字にして伝えてくれたようです。

たったひとつの体験が次の体験を引き出し、豊かな言葉を引き出し、家族の笑顔まで引き出せること。幼児教育に関わっていて、これに勝る喜びはないでしょう。後から後から出てくるものほど価値があることと思います。型にはまった行事のような体験はその場では感動を与えますが、後の人生にはごく一部の場合を除き、ほとんど残っていないのがこれまで私がみてきた考察です。

ただし、山登りについても、普通にみんなで行って整列して登るだけでは何の「自己発見」の機会にもなりません。私たちは、山登りにおいても何とか自分たちの「保育の質」を貫きたいと思い、“自分のペースで好きなように登っていい”という環境をつくりました。ほとんどの男の子は誰よりも早く頂点に辿り着きたいという欲求があり、先へ先へとゴールを目指して進もうとします。ほとんどの女の子は運動神経や忍耐力と関係なく、頂上で食べるお弁当の話を楽しんだり、「まだ着かないの~?」とぶつぶつ不満をいったり、マイペースに登ろうとします。
つまり、発達や習熟度の違いでペースを分けると、10名以内の少人数グループで登山をしても、職員は3~4人で分かれなければならず、特に先頭グループは大人顔負けのスピードで、休憩も子どもは大人の4分の1ぐらいの時間でフル充電できるのでついていくのが大変で、また、最後のグループは“亀さん”のようにゆっくりのため、付き添う援助者にはかなりの忍耐力がいります(笑)。

子どもが「自己発見」をするためには、必ず自分のペースが保障される必要があります。忘れがちですが、ゆっくりの子をゆっくり行かせるだけではなく、早く行きたい子を早く進ませるということも大切です。登山においても、もし、整列して早く行きたい子を抑えつけ、ゆっくりいきたい子のお尻を叩きながら登っていたとしたら、冒頭で紹介したような「自己発見」の体験にはつながらなかったことと思います。
“でも、それでは団結心や協調の気持ちが育たないのでは?”と思われる方もいるかもしれませんが、先頭を走る子たちほど、後ろから来る子たちのことを考えながら登り、要所要所で待って全体の姿を確認しようとします。「〇〇ちゃん、大丈夫かな~」「今、どのあたりかな~」と気にしながら、自分が先に道を切り開いてあげようという意識で進んでいます。そして、頂上では、自分のペースでバラバラに登ってきた子たちが互いに称えあい、喜びあい、集団で達成できた一体感を満喫します。共に清々しく汗をかき、連帯意識がつよまります。これは、大人にも当てはまるのではないでしょうか。

最近、「マインドセット」「グリット(やり抜く力)」などの重要性が人生を成功に導く秘訣として書籍などで紹介されていますが、これらの多くは幼児期の原体験と習慣に基づくものです。その詳細は、編集中の本に書きましたので、興味がある方は楽しみにもう少しお待ちください。


先入観を捨てる

先日、GWが終わったばかりだと思いましたが、もうすぐ五月も終わりで夏の暑さを感じる日も増えてきました。
人間は経験を重ねると種々の体験から共通項を見つけ出し、それを次にやってくる出来事にもあてはめてスムースな対応をするという効率的な面がありますが、一方で其れゆえにものごとの本質を見忘れたり、見誤ったりするという悪い面もあることと思います。
保育や教育の場でも、過去の成功体験や何となく続いていることを大切にし過ぎると、そのようなことがあるのではないでしょうか。子どもは100人100通り、1000人1000通りの違いがあり、毎年、一人ひとりに違うアイデアを出すぐらいの意識を持っていないと真の成長(発達)支援はできないことと思います。
ベテランの調理の先生が、来月の園だよりへの手記で日常を謙虚にふり返ろうとするエピソードを書いてくれたので転載します。

子どもたちの意外さにびっくり!今時の子どもたちはあまり好きではないと思う食べ物が好きだったり、給食を作っていて驚かされることが度々あります。「いわしの丸ごと梅煮」はみんなが大好きなメニューですが、最初に作った時は今の子どもたちは食べないだろうなと思いながら、お皿に盛り、子どもたちのテーブルへ。そしたら「おいしい」「おかわり」の声が。あの時の驚きは今でも覚えています。つい最近、「ふき」を作ることがあり、これも半信半疑でテーブルへ。そしたら「おいしい」「おかわり」とふきの奪い合いまで(笑)。
食べないだろうと思い、小さく切ってごぼうのきんぴらに混ぜてみました。そしたら、きんぴらの中のふきを探していて本当に驚きました。子どもたちは味つけだけでなく、調理法によって食べるみたいです。
お家でもこれは苦手かなと思う食べ物も工夫次第で食べるようになるかもしれません。無理に食べさせようとせず、またすぐに諦めず、ちょっとした工夫をしてみてチャレンジしていただければと思います。

ビタミン、ミネラルをしっかりとって、暑い夏を乗り切りましょう!



アイデンティティ

日本を訪れる外国人観光客が年々増加しているようですね。生活の必要性で普通に英語を使う機会が増えることは、迎える日本人にとってよいことだと思います。今まで目立たなかった地方の地域なども訪れる外国人が増えていますので、もしかしたら、観光地となったところに住む地元の人たちは、都会で真面目に“受験英語”を勉強している人たちよりコミュニケーション能力は高くなるかもしれません。いずれにしても、20年後、30年後には「英語を話せます」程度の経済的価値はほぼゼロになるか、少なくとも現在の「(特別なことはできませんが)一応大学は卒業しました」程度の価値になるでしょう。

昨年暮れから、中国・アジアの企業と日本の企業の連携をつくり出すために設立されたベンチャー企業の監査役を頼まれ、月に一度、ミーティングに参加しています。現場を行き来している役員の話を聞けば、中国でも「日本語を話せる」程度では、現地でよい仕事は見つかりにくくなっているようです。通訳になるにしても、特定分野につよくなければ“買い叩かれる”対象になってしまうのは、外からみれば日本語も同じであり、語学だけでは不十分ということを肌で感じています。やはり、何かに没頭できる力や好奇心を自分で深められる自学自習力を幼少期にしっかりとつけておいた方がいいのではないでしょうか。そして、アイデンティティを確立していくには感性も大きな影響を与えます。

“グローバル社会では多様な価値観に共感できることが大切”とよく言われますが、実際には共感だけで関係が維持されるほど甘くありません。共感をするだけなら、他のだれかにいつでもとって変わられます。同じゴールを目指す感性をもっていながらも、“相手にはない感性”をもっていなければ、建設的な関係は生まれません。企業の役員が集まる会議では、私が「相手に共感するだけなら、5歳の子どもでも友達として対等に相手にされない」と言うと笑いが起こりますが、本気で言っています。

以下、子ども時代に「感性」を磨く絶好の機会です。日本人として、日本的なことが何もできなくても世界で生きてはいけますが、アイデンティティの中にその原体験による感性が組み込まれていると、ひと際注目される要素をもつことにもなります。日本人は日本人であることを本質的な面でもっと利用してもいいかもしれません。自分だけの世界観をもつ姿は、誰から見ても頼もしく、それが自然と身についているとすれば、生涯において最も有効に使えるパスポートとなるでしょう。


*週1回x二か月程度の稽古(場所は世田谷区) → 最後は「日本橋劇場」で! (はじめての日本舞踊/水蓮会)
はじめての日本舞踊



ショウ・アンド・テル 続編⑤

“お気に入りのものを持参し、原稿なし、練習なしで80秒間、みんなの前で台に乗ってスピーチする” この活動を実施し始め、3年目となる中でついに「何も持って来ないでスピーチしたい!」という年長さんが今週、表れました。

ショウアンドテルでは、最初のうちはみんなに見せたいものがあるからとお気に入りのものを持参するものの、見せるだけで満足してしまい、お話をあまりしない子どもたちの姿も多くありました。しかし、回を重ねるに連れてお話しないと伝えられないことがあることに気づき、みんなの前でお話ができるようになっていきました。

今週、なにも物を持参しないでスピーチをしてくれた年長さんは、自宅で飼っているおたまじゃくしについてその様子や知っていることを細かくお話してくれました。(私は直接見ていないのですが)時間制限を越えて2分以上、堂々とお話していたようです。ひとつのことについて、何も見ないでそれだけの時間お話するには、興味の幅が広く、深く思考できる習慣がなければできません。きっと、そこに対する自信があったからできたのでしょう。お話のみで聞く側の幼児を集中させることは大人でも難しいことです。

年長の子どもたちは、年少だった時から毎日お当番がスピーチする光景を“当たり前”のように見てきました。自分たちに順番が回ってきた時には、もう心の準備が自然に出来ていました。大切なことは、毎日の生活の中で一人ひとりの気づいたことや求めていることにしっかりと反応して上げ、共感的な態度で言葉を添えて上げることであり、そのような体験の積み重ねがみんなの前でお話することの楽しさにもつながっていることと思います。


Life of Kenyan Student

One of our kindergarten children comes from Scotland.Today, we invited his grandmother and grandfather who had teacher career and recently visited “Kenya” for their teaching mission. They brought lots of photos and videos and showed them on the screen with explanation in front of children.

“Very different ! ” “Wow”, children voiced when they saw the photos showing scenes of town and field in Kenya. More curiosity was shown when they watched school life of high school students who were at boarding school where each student lives together and goes to bed in the same room.


One 5 years child questioned “If their curriculum finish 11 o’clock at night and wake up 4:30 in the morning, how come they are not overslept and can attend to school on time? The teacher (grandfather) answered “they are sleeping during the class !”

Youngerchildren felt and learnt “difference”. Older children expanded their curiosity and raised quesions by comparing with their experience and knowledge from a life in Japan. It was valuable and grateful opportunity of Kenya and Africa. Everybody was happy with warm-hearted presentation.


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