幼児教育とグローバル基準の保育

幼児のファンタジーな世界と無限の可能性。小さな発見やフローの積み重ねからイノベーティブな未来を創る。有能感を持った自立した人間として、生涯を通して学び続ける資質を持って成長できるよう、今しかできない幼少期の土台作りを支援します。



社会見学・交流 『消防署』

先月の警察署に続き、年長と年中の子どもたちが『消防署』を訪れました。多くの子が週始めから見学の予定を楽しみにしていました。消防署では隊員の皆さんが親切に迎えてくれ、まずは、寝室や食堂の見学からスタートしました。夜中もお家に帰らず、火事が発生したらすぐに起きるという隊員の生活を巧みに想像する様子が子どもたちの顔からうかがえました。

IMG_3277


IMG_3281
消防車の運転席に座らせてもらうと、みんな嬉しそうな表情をしながら計器類に興味津々で質問を投げかけていました。ホースやはしご、水の量など消防車の設備についての話も真剣に聞き、防護服を手にしたり、呼吸器を背負わせてもらったりすると「こんなに重いの?」と、これでどうやって火事の中を走り回れるのか、驚きの表情をみせていました。

IMG_3291

特に子どもたちが驚きを持って見たのは、「出動訓練」と「救出訓練」でした。火事が発生したという想定で、出動する隊員が一秒も無駄にしないで防護服へ素早く着替える姿やはしごを2階に伸ばして駆け上がり、ダミー人形を救出する姿は本物のような臨場感に溢れ、新鮮な機会で驚きでした。(職員にとっても初めて見る機会でした)

消化器を使っての消火疑似体験は、一人ずつ消化器から水を放出して体験させてもらいました。質疑応答では今回も質問が次々と沢山出て、最後は途中で打ち切りとなりましたが、11名の少人数により質問がある子は最低一、二回は聞くことができました。年長児からは「人を助けるのと、火事を消すのと、どちらを先にするのですか?」という究極の場面での選択を問う質問や「はしご車はどこにあり、どんな時に出動するのですか?」と持っている知識を照合するような高度な質問も出ました。

園に戻ってから、子どもたちの探究心や好奇心を更に発展できるようにするために、大きな紙にみんなで体験したことをお話しながら絵で表現し、意見やアイデアの交換を子ども同士でし合いました。

「すごく、たのしかった~!」という言葉が、多くの子どもたちから聞こえ、なにかを達成したような顔つきが印象的でした。



空き缶 弓矢づくり

アトリエでアートの先生の指導のもと、空き缶での「弓矢づくり」を行いました。
作り終えてからも遊び込む姿が特に男の子たちの間では目立ち、盛り上がりました。

以下、先生の手記を掲載します。

ご家庭で用意していただいた空き缶に穴を2ヶ所あけ、そこにストローで作った矢をさしこみ、輪ゴムの力を利用して飛ばす。今日は工作の楽しさを味わってもらいたいという思いで子どもたちに話をする。すると、工程ひとつひとつに子どもたちから『こうしたい!』というアイディアが言葉になり、『自分で考える』姿勢がみられ、充実した活動となった。
「ホチキス」「千枚通し」とあまり使ったことのない道具も始めは『どうするの?』『できない!』とあきらめそうだったが、何度も挑戦し、最後はなんとか使えるようになる。
自分で矢をはなてると子どもたちは大喜び!!
アトリエ中が楽しい雰囲気につつまれました。



IMG_3266
欲しい材料について「ちょうだい」「どこにある?」と尋ねる子どもたちに、「机の上にのってもいいから自分で探しなさい!」という声が講師の先生から掛けられました。



IMG_3267
的をめがけて室内で遊んだ後、公園へも持っていきました。飛び過ぎて、砂場の屋根にまでのせてしまった子もいました。



社会見学・交流 『警察署』

“少人数グループ教育”では、社会見学においても、普通は立ち入れないところを見学させてもらえたり、対話のやりとりが一人ひとり活発にできたり、好奇心や意欲を育む環境を創ることができます。

今年も年長と年中が一週間前から警察署に訪れることを楽しみにしており、子どもたちは“自分はこんなことが聞いてみたい!”という期待感を膨らませていました。
当日、最初に会議室に通されて警察官の方からのお話が始まると、園児たちは姿勢を正して興味津々に耳を傾け、「防犯」の話になると一層真剣に聞き始めました。


園児たちからは「もし〇〇だったら、どうすればいい?」「地震でエレベーターが止まった時に、悪い人が・・・」と頭の中で様々なことを想像しながらの質問が次々と飛び出しました。あまりの数の多さと勢いに警官の方から「まだ質疑応答の時間が必要ですか?このペースだとパトカーと白バイを見る時間が・・・」と声をかけられ、途中で“打ち切り”にさせてもらいました。園児たちからは「え~!」とがっかりする声も上がるほど、盛り上がっていました。子どもたちにはしっかりと“自分の身は自分で守る”という「強く生きる力」にもつながる意識が芽生えていることを確認できる機会ともなりました。


署員の係の方に「将来、警察官になりたち人?」と聞かれると、7割ぐらいの子どもたちが手を上げていました。「〇〇ちゃん、獣医さんじゃなかったっけ?」「う~ん、迷ってるの」と会話している子どもたちもいました。
パトカーや白バイにのると、「もう一回のってもいい?」という子も多く、みんな嬉しそうな表情でそれぞれが心の中で何かになり切っていました。特に感動したのは、順番を待っている時には手があいてそうな警察官の方に近寄り、再び様々なことを質問している姿を多く見かけたことでした。

多くの教育現場では、順番を待っている時には整列してただ待っていることだけが正しいと教え込みますが、本当はそんな時にこそ自分の好奇心を広げたり、発展させたりするチャンスがあります。目の前に多くのチャンスがあるのに、ボケッと受け身でいることこそ悪しき習慣です。

対応してくれた方に「普段はそんなに質問が出ないんですか?」と聞くと、「幼稚園児の場合は『好きな食べ物はなんですか?』とかも多く、あまり質問はなく、小学生の場合は授業として事前に考えてきてすることが多いです」と仰っていました。

今回、11名で伺いましたが質疑応答で警察官に「好きなもの食べ物はなんですか?」と聞く子どもは一人もいませんでした。(もちろん聞いてもいいことですが)聞きたいことが沢山あり、真剣な眼差しで挑むように話しかける子どもたちの姿には、将来への頼もしさを強く感じるものでもありました。

来月は消防署の見学に伺い、署員の皆さんと交流をさせて頂きます。年長の子どもたちにとっては“幼児期”もあと60日を切り、巣立ちに向けて最後の総仕上げの期間でもあります。長い長い人生であるにも関わらず、幼児期は実に短いと日々実感しております。





デンマークの教育に学ぶ③

自由自在の授業風景

「起立」とか「これから授業を始めます」はない。いっせいに話を聞く時は、先生を囲むように座っている。おしゃべりをしていると、「シー」と注意される。でも先生はどならない。それぞれが課題をやるときは、教室のすみっこでもいい、廊下でもいい。

フランスの視察グループから、教室の外の廊下で勉強している子どもたちについて、「あの子たちを監督しているのは誰ですか?」という質問があった。私が「教室にいる先生です。」と言うと、「どうしてそんなことが可能なのでしょう。私たちの学校でそんなことを許したら、子どもはどこかへ行ってしまうか、家に帰ってしまうと思います。」と言っていた。

『デンマークの教育に学ぶ』 生きていることが楽しい [大型本] より

この自由自在の授業スタイルを日本の小学校が形だけ真似をすれば、おそらくほとんどのクラスは授業が成立せず、学級崩壊を起こすクラスも少なくないことでしょう。しかしながら、私は、北欧の人たちだからできる特別なこととは思っていません。
幼少期から「自己決定の尊重」と「対話の継続」という柔軟な環境が、簡単ではありませんが絶えず子どもたちに与えられれば、自分が最高に学べる環境を自分で見つけられるようになっていきます。大切なことは大人の忍耐力と発想の転換でしょう。

先週、偶々、見かけた場面で興味深いことがありました。先生が年長の子たちを音楽の活動に誘うと、少し面倒くさそうにする子たちもおり、最初はノリノリの雰囲気ではありませんでした。歌うために「立ってください」というと、(朝のスピーチで行っているように)椅子の上に立とうとする子がいました。それを見かけた先生は機転を利かし、「みんなで椅子の上に立って歌ってみようか」と誘導すると、何ともみんないつもより真っ直ぐにビシッと姿勢正しく楽譜を持って立ち、息もピッタリ揃って階名で「第九」を清々しく歌い上げることができました。そして、次に、座って行ったピアニカ演奏でもその効果は持続し、友達と協奏する気持ち良さを感じるものへとつながりました。


その姿を見た時、25年前に観た、ロビンウイリアムズ主演のDead Poets Society「いまを生きる」の有名なシーン(先生が生徒を机の上に立たせるシーン)を思い出し、まさか自分の園で同じような光景が見られると思わず、一人感動していました。子どもたちは、きっと別の違う視点から(音楽がつくり出す)世界がみえ、グルーヴを見つけたように自分をフィットさせたのでしょう。


話は変わりますが、禅の世界には「調身・調息・調心」という言葉があります。心を正すためには、まず姿勢を但し、次に呼吸を整えれば、自然と心も整ってくるという順序でもあります。これは、保育や子育てにおいても大変活用できます。私たちはつい言葉に頼って子どもの心を動かそうとしますが、姿勢と呼吸が整っていないと大抵の場合心まではついてきません。反対に姿勢と呼吸が整うと、こどもは自ら気持ちも入れ替えようとすることがよくあります。
海外で教育や子育てをされている方々も、困ったときにはぜひこの禅の教えを参考に意識してみて下さい。



デンマークの教育に学ぶ②

性の教育

「小学1年生から折に触れて教えます。6年生、7年生で性病や避妊を教えます。教員はその養成課程で性教育について学んでいますから、みんな教えることができますが、本校では、生物の担当が中心になって性病や避妊などについて教え、担任と体育の教師が協力する形で教えています。」
~『デンマークの教育に学ぶ (かもがわ出版)』から引用~


私の園の幼児たちも6歳になって歯牙交代期に入ると、突然、性による体の部分の違いに興味を持ち始め、面白おかしく一日中言葉にしているような時もあります。私たちは「恥ずかしいからやめよう」「大切な場所だからふざけて言うことじゃないよ」と子どもの言葉を一生懸命抑えようとしますが、結局はその場しのぎであり、また数分後、数時間後には繰り返されます。抑えるだけの対応では限界を感じます。

デンマークの小学生への性教育の実践でとても興味深いと思ったのは、「生物」の先生が中心になっているということです。子どもはカブトムシを飼育すれば、雄と雌がいなければ卵はできないと必死になって両方を見つけようとするし、野菜の栽培体験ではおしべとめしべが受粉しないと実はできないことを体験から生命の論理として学べるからです。
このような観点で小学一、二年生から性について学んでいく方が、第二次性徴期の直前になって人間の体に起こる化学反応のように学ぶことより、遥かに日常生活において“助かる”と思います。(私がもし小学校の校長であれば、すぐにでも理科の先生にカリキュラムを作ってもらうようお願いをしていると思います)。その「助かる」という理由を以下に書きます。

子どもは歯の生え変わり始めで骨格と共に男の子は「男子」へ、女の子は「女子」へと身体の変化が精神の成長を「強迫」します。そして、11歳~14歳ぐらいなると、身体的には早くも男子は「男性」へ、女子は「女性」へとこれもまた本人の意思とは関係なく身体が精神を「強迫」します。
文部科学省は実質的には22歳で大人になることを一般化しようと勧め、経済化された社会は「恋愛はいつでもできる」「恋愛は別にしなくてもいい」と語りかけますが、“身体科学省”はもう7歳にもなれば"大人化プロジェクト"をどんどん勝手に進行させており、中学生にもなれば本人の意思や希望とは関係なく『早く異性を見つけなさい』と身体が精神を強迫します。(精神の発達上で「強迫」という言葉を使うのは、本人の意思とは関係なく起こるという意味からです)。

平均寿命が80歳の時代になり、教育はいつでも受けられ、結婚も急ぐ必要がない時代になっても身体の発達は待ってくれず、むしろ早熟化している傾向です。「若いうちは勉強やスポーツにだけ励んでいればよい」と、こうした事実や発達上の理論に見て見ぬふりをし、身体の現実とのギャップを広げていることが、社会の様々な問題とつながっており、ひいては少子化問題にもつながっているのではないでしょうか。


参考:






author
記事検索
「教育」「子育て」の書籍
アーカイブ
コンタクト