幼児教育とグローバル基準の保育

幼児のファンタジーな世界と無限の可能性。小さな発見やフローの積み重ねからイノベーティブな未来を創る。有能感を持った自立した人間として、生涯を通して学び続ける資質を持って成長できるよう、今しかできない幼少期の土台作りを支援します。



母の日

どんなに献身的に保育者が子どもに接しても、または父親が優しく面倒見がよくても、子どもは体調が悪かったり、困難に直面したりして声を出して泣く時には必ず「ママ~」と言います。「先生~」や「パパ~」とはまず言いませんので、母親という存在の大きさをつくづく実感します。

母の日を前に子ども達が大好きな「お母さん」に関する絵本の読み聞かせ、会話を通じての表現活動の機会を園で設けますが毎年それに大変意味を感じています。形式的に何かを作り、贈ることであればあまり価値はないと感じますが、離れていても、忙しくても、叱られても子ども達の心の中にはいつもお母さんの存在があり、その気持ちを表出できる機会があることは子ども達にとっても嬉しいものです。


子どもは決して“完璧なお母さん”や“理想的なお母さん”を求めているのではなく、また、母親に何か素晴らしいことをしてもらいたいと期待しているわけでもなく、ありのままの“不完全なママ”が大好きです。「母の日」はお母さんが自分を大切にする日でもあってもらいたいと思います。


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幼児教育における表現活動

人間形成における土台づくりを目的とした幼児教育で「絵画」「造形」「音楽」「発表」などを実行していく際、それらは自己の“表現活動”として行われる必要性があります。その基本は、自分は何をしたいのか、自分は何であるのかを、手指や身体の動き、外言*等を伴って探す体験であり、その積み重ねが自己形成や自己肯定感、将来の論理的思考や抽象的思考の土台になります。
本来、幼稚園、保育園で行われる製作や音楽、発表などの活動は、特定の分野での能力を伸ばしていく専門教育や習い事とは目的が違うということをしっかりと区別する必要があります。そこが曖昧なままに計画が立てられ、実行されていくと“手段が目的化”してしまい、小学校低学年ぐらいまでしか役に立たない中途半端な前倒し成果で終わってしまいます。(私は、一年間考えた結果、幼稚園や保育園の先生が好んで使う、気がつくと手段が一人歩きしやすい「製作」という言葉を今後使わないように、先日、担任の先生たちにお願いをしました。快く同意してもらえたのでホッとしました・笑)

6、7歳ぐらいまでの幼児は、“自己中心性*”という主観と客観の区別が未分化の状態にあります。自分の視点や経験のみを中心にして物事を捉え、自分の内面(中心)に向かって爆発的なパワーを注げるのはこの時期しかありません。この時期を過ぎると、“脱中心化*”と言って子どもは他人の視点に立ったり、自他の経験を相対化したりすることが発達段階的にできるようになりますが、それまでに思考や身体と共に試行錯誤しながら自己表現を積み重ねてきた体験が薄ければ、子どもは脆弱な土台の上に立った家で嵐を迎えるような状態に置かれます。

幼児は考えていることを頭の中だけで試行錯誤することができません。5歳ぐらいになると、他人の視点も少しずつ分かるようになるので大人から見ると頭で考えを操作できるようになっているように見えますが、発達段階としてまだほとんどできません。思考の操作能力は言葉ほどに育っていません。また、「考える力」を育てようというのが時代のブームになっていますが、プリント学習やクイズのような形式のものでは反射的な思考力しか育ちません。拡散思考力や論理思考力は、幼児期には手指や身体の動き、外言を伴って育まれるものであり、本来の表現活動はそこに大きな役割を果たすことができます。幼児期の表現活動が、初等教育の図工(美術)や音楽へのつなぎとしての学びではない理由がそこにもあります。
また、11、12歳ごろから必要とされる抽象的思考力のベースになるのは想像力や創造力であり、幼少期に課題ばかり与えられて自分と向き合う時間が持てなかった子はその思考力が弱いとも言われています。


表現活動とは生の喜びを表現する手段でもあると子ども達の姿から感じます。幼児が自分の意思で手指や体を十分に動かしている時の表現活動は、それが例え援助者(指導者)の目的と違っても生き生きとしており、発展の連続性が期待できます。「達成感」とは何気ない日常生活の中で子ども自身が獲得していくものであります。援助者が描いたゴールを通過できても、発表会を経験しても、身につくのは一種の社会性への自信だけで子どもは大人が思っているほど「達成感」は感じておりません。
表現する喜びを積み重ねて成長する子ども達を見させてもらいながら、改めて表現活動とは何のために、どこに向かっているのか、幼児教育における目標を忘れないようにしたいと思っています。


*「外言」 ヴィゴツキーの理論を引用しています
*「自己中心性」「脱中心化」 ピアジェの理論を引用しています

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世界基準の幼稚園 6歳までにリーダーシップは磨かれる
橋井 健司
光文社
2017-10-17
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食育と子ども

何でも意欲的に食べるようになると、それに比例するように手指もよく動くようになったり、集中持続力も伸びたりする子どもの姿があります。特に野菜をしっかり食べる子は風邪をあまり引かず、体力もある姿が目立ちます。集中持続力が伸び、気力と体力が充実すると、自分の好きなことに好きなだけ取り組めるようになり、様々な分野で達成感や自信を獲得できるようになります。それゆえに食育が幼児教育における毎日の基本であり、これを疎かにしてはどんな付加価値の高いことをしてもその効果は半減すると言っても言い過ぎではないと思っています。
子どもの食育を考える時、メニューや食材も大切ですが、調理法や調味料、雰囲気(楽しさ)などでも子どもの意欲や食べる量は随分と変わります。一人ひとり、色、匂い、固さ、大きさが少し違うだけで反応が違い、調理者、保育者、栄養士の日々のきめ細かい努力により、成果は大きく変わります。また、食べる時間にしっかりと空腹になっていることも重要であり、運動量が少なかったり、朝遅くまで寝ていたり、または遊びや活動で発散できなかったりしても食育は充実しません。食育を充実させようとすると周辺の環境を整えなければならず、生活全般を整えることにもつながります。
卒園児の中には調理の先生のことをよく覚えており、会いたいと言って訪れてくれる子もいます。調理した人間の顔が子ども達から見え、毎日言葉を交わし合うことも子どもの健全な成長を支えていると実感しております。

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遊びと「プロジェクト」

先月卒園した園児の保護者の方より「入学式の初日から隣の男の子とお友達になり、楽しそうにしていて安心しました」というお知らせをいただきました。頼もしい様子に先生たちも皆喜んでいました。

さて、毎日の外遊びで子ども達が“楽しそうに”交流している時、そこには必ず「プロジェクト」のようなものがあります。一人で夢中になって遊んでいる子に、二人、三人と集まってきて、新たなアイデアが加わります。ここで互いにメリットを見出せると晴れて“遊び相手(友達)”になります。ここでアイデアが出せなければ一緒に遊ぶ関係にはならなかったり、相手になっても受け身で動くだけの存在になったりします。

自分から楽しい遊びを作り出したり、アイデアを出せるようにするためには、2、3歳児の日常生活から始まっています。一人で真剣に何かに取り組んでいる姿は、二年後、三年後に友達に囲まれ、交流している姿へとつながっていきます。そのような姿をしている時には出来るだけ遮らず、また、そのような姿が事象として表れないのならばどのような環境を作れば表れるのか探し続け、それを必ず見出すことが保育者には必要です。
子どもの世界は子どもの世界なりにドライであり、友達が楽しい遊びをつくり出せないと感じた時には一緒に遊ばず、その友達は一人で遊びを作り出しながら友達の関心を待つか、その時はあきらめて先生と一緒に遊ぶしかありません。先生は子ども同士が上手に遊べるように仲立ちしたり、援助したりしますが、最後は自分の力です。子ども達の「遊び方」を見ていれば、誰も知り合いのいない小学校へ行っても、もしくは海外へ飛び出しても、大丈夫かどうかが分かります。それは将来大人になった時にも少なからずつながることと思います。



異年齢クラスと自律

異年齢クラスでは毎年4月になると、進級した年長や年中の子ども達の行動に変化が表れます。いつも憧れていた一つ年上の園児たちが使っていた道具や教材が遂に自分のものとなったこと、新たな学びの機会や責任を伴う役割が増えること、そして年下の園児たちが同じクラスルームに入ってきたことで相対的に感じる自分の成長など、これらによって進級の喜びは同年齢だけのクラスより大きいものと感じます。先生が特別な働きかけや注意をしなくても一ヶ月前とは違う自律的な行動が表れるのはとても興味深いことです。
“小さな子と一緒に生活することで大きくなった自分の成長に気づき、自信になる”ことは、サマースクールやウィンタースクールで遠くから来てくれる年長や年中の園児の保護者の方々からも時々言われ、異年齢クラスならではのことと感じます。一般的には小さな子が大きな子に優しくされたり、援助されたりする部分が異年齢クラスのメリットとして目立ちますが、それと同等以上に大きな子たちの自律やリーダーシップメンタリティを養うことに効果を発揮しています。昨日は小学生になった卒園児さんが「みんなに会いたい」と遊びに来てくれました。年長や年中の園児は小学生になった元クラスメイトがランドセルや鞄を背負って笑顔で明るく遊びに来ることで“自分も早く小学生になりたい”と期待を高め、心の準備にもなります。これも異年齢のクラスルームならではのことであり、開園時間が保育園型である特性も生かしながら卒園した子が15時以降に遊びに来てくれることを歓迎しています。
異年齢クラスで大切なことは能力的、技術的な課題を目的にした提示活動では一定の年齢や習熟度グループでしっかり分け、異年齢でいることがお互いに我慢し合うことにならないように注意をすることです。自由時間に対する配慮も同じであり、標準以上の職員の人数が必要と共に毎日毎日、職員間で話し合いながら一人ひとりが確実に成長目標に向かっているか確認し合い、月一度はすべての項目で到達度を評価しながら翌月の月間計画に反映させていきます。

海外では小学校からクラスメイトにどのような貢献ができるかを力として求めるところも多く、日本でも平成32年度から実施の大学入試改革では「教え合ったり、学び合ったりする力」も求められることとなりました。幼少期の生活体験を通じて“自分は他者に貢献できる存在”“自分は他者に必要な存在”という実感を身体感覚で持つことが将来への揺るぎない土台となることと思います。




author

橋井健司。保育士・研修指導講師。新教育デザイニング株式会社 代表取締役。社会福祉法人の監事。

著書
「世界基準の幼稚園~6歳までにリーダーシップは磨かれる」
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