幼児教育とグローバル基準の保育

幼児のファンタジーな世界と無限の可能性。小さな発見やフローの積み重ねからイノベーティブな未来を創る。有能感を持った自立した人間として、生涯を通して学び続ける資質を持って成長できるよう、今しかできない幼少期の土台作りを支援します。



音楽表現と幼児の姿

ジャン・ピアジェは、事物や事象のすべてを生命あるものとして捉える幼児の認知特性を「アニミズム」と定義しました。また、ファンタジーな世界観を幼少期教育の柱とするルドルフ・シュタイナーは「学校に来る生徒たちは無意識的な音楽家である」とまで言っております。音やリズムと共にある幼少期の身体表現はこのファンタジーな世界に棲んでいる子ども達の“実生活”そのものであり、“生の営み”とも捉えることができます。


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リトミックをしている時の子ども達はいつも笑顔が最高に素敵だと感じます。「音楽会」で行うイメージはないかもしれませんが、今年の音楽表現リサイタルではこれを一番に持ってきて子ども達が表現を楽しむ姿を保護者の皆さんに観てもらいました。親子で行える音楽遊びを入れたのも先生たちのアイデアで、子ども達の表情は本当に嬉しそうで和やかな空気に包まれました。年長と年中はやや教科的なド・ミ・ソの違いに反応する聴音遊びも行いました。


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子ども達が大好きな絵本から題材を選んだ「オペレッタ」は、今年はいつもの年度より人数的には年少が全体の中心になるため、内容をシンプルにしながら年長と年中の役割も全体の中で創るという例年とは逆の設定で先生たちが企画をしてスタートしました。それでも全体としてやや難しい環境設定だったかもしれません。子ども達は立派だったものの、厳密に考えれば身体を動かしながら暗記したセリフを発声し、更に物語の理解や役割分担の認識も本来必要とするので難しいものです。発達段階と照らし合わせると幼児で最適な年齢は6歳か5歳後半からが目安ではと反省的に実感することにもつながりました。
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音楽係の保護者の皆さんによる演奏は子ども達にとってとても嬉しいものでした。バイオリンやフルートの音色、タンバリンやトライアングルの心地よいリズムに浸りながら、みんな優しい眼差しで静かに聴いていました。お友達のママやパパは子ども達にとって愛着のある特別な大人であり、幼児たちにはプロの演奏を聴くよりも心に栄養を与えるものです。


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歌いたい子、集まれ!の設定で行った唱歌「ありのままで~アナと雪の女王より~」は、難しいオペレッタをこなした後だったせいか、やっと歌だけに集中できる時が来たからか、意欲的に前に出てきた子どもたちが思った以上に感性を爆発させてくれました。誰もが主人公の魂が乗り移ったとさえ感じる表情をしていました(笑)


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最後に年長さんがピアニカでベートーヴェンの「第九」を演奏してくれました。毎年年長の姿を見て想うのはみんなの前で堂々とできる本番も素敵ですが、練習している時の姿はもっと素敵だということです。“自分はやれば出来る”という安定した自信が過去の積み重ねから身についており、それを実感できるのは何より嬉しいことです。

明るく元気で個性的な子ども達、愛情に溢れた保護者の皆さんに感謝しながら担任の先生たちをしっかり援助し、全員が笑顔で進級・進学できるよう3学期の残りの一日一日を大切にして参りたいと思います。




ルソー 「消極教育」

フレーベルやマリアモンテッソーリを始めとする多くの幼児教育家の実践の背後にルソーの存在があります。ルソーは、子どもは大人の未完成ではなく、子どもとして固有の成長論理や世界を持っているという人間観を示しています。大人が子どもの将来を先取りして強制的に教え込もうとする積極教育を批判し、成長の論理に沿って援助をする『消極教育の原理』を教育において大切なことと示しました。

現実には「消極教育」という言葉は、その言葉だけがひとり歩きすると教育現場では誤解を与えやすいので私はあまり使わないようにしています。日本の幼児教育現場は行事という題目のもとで様々な強制的介入がありますが、一方で「自由」を理念にしながら適切な援助が与えられていない、海外の有名な思想だけを導入したような保育現場も問題があると思っています。

「消極教育」の原理については、私は『積極的提示と受身的援助の組み合わせ』と言った方が現場には分かりやすいと思い、感覚的には2:8もしくは1:9ぐらいですがそれを教諭や保育者の基本としています。ただし、その方法は子どもの年齢や習熟度によって違い、また、同じ子どもでも1学期と3学期は違います。大切なことはこの思想の原理を理解することよりも、子どもをよく観察し、そして観察するだけでなく発達段階の順序性が頭の中にしっかりと入っていることです。月1回は一人ひとりの発達段階を振り返り、計画を見直すことが大切と考えています。ルソーの「消極教育」を教育現場で形にするためには一人ひとりに違う提示や援助が必要であり、現場は消極どころか“忙しい”ものであります。



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年少々の表現活動。糊、クレパス、絵の具を使用。途中で止めた方が見栄えのよい作品になりますが、この年齢は“好きなだけ長い時間指を動かせること”を優先します。ルソーは「知識を与える前に、その道具である諸器官を完成させよ」と示しています。



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年少の表現活動。4歳から5歳になるにつれて自然に「作品」への意欲が芽生えます。3歳前後に自由な表現が許される環境の中で培った指先の洗練化や集中力がベースになっています。



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年中の表現活動。自分なりの作品表現を尊重しつつ、この年齢では「協働すること」も重視します。自分の苦手なことは友達に聞き、得意なことは友達にシェアするという学び方も身に付けていきます。その時は先生は援助を最小限にして少し距離を置き、消極的な存在になります。現在文部科学省で進められている大学入試改革の方向性を見ると、将来はこのような能力も求められることでしょう。



参考図書(以下、クリックするとアマゾンのページにジャンプします)







アート『イメージを絵にしよう』

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3学期は4月から子ども達にしてきた成長援助が『飛躍』として形に表れる時期でもあります。日常生活で培った心の中にあるものの豊かさは言葉だけでなく、絵画や音楽表現にも表れるものであります。今日のアート活動では専科の先生がそんな時期にピッタリの絵本を持参して下さり、子ども達の個性あふれる心の中や感性のファンタジーの世界が見られました。

以下、アートの先生の活動後記をそのまま掲載します。
『ねっころがったら』という絵本をみんなで見て、み~んなで大の字にねっころがってみる。『なにか見える?』と言うと『でんき!』『えんちょうせんせい!』と元気な声、次に『じゃあ、目をとじて!』『心の中で何がみえる?』と導入する。
色々なことが自分でできるように育ってきた子どもたち。『浮かんだひとはクレパスと画用紙をとって描き始めよう!』と促すとスムーズに場所を決め、描き始める。
絵本の1ページにしたいような素敵な絵が生まれる。子どもの心の柔軟性に感激する。『きょう、たのしかったよ!』と女の子の声に『私も、○○ちゃんの絵を見て楽しさが伝わったよ』と返す。人と人の『つながり』って心を暖かくしてくれます。感謝です。

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甘えさせるのは何歳までOKか?

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「甘えさせるのは何歳ぐらいまで大丈夫ですか?」毎年よく聞かれる質問であり、親として、先生として多くの方が考えることでもあると思います。子どもが甘えてくれて嬉しいと感じるのはお婆ちゃんやお爺ちゃんが中心で、親としては子どもが甘えてばかりいれば“うちの子は自立できないのではないか”と不安になる気持ちはとてもよく分かります。

さて、異年齢が一緒に過ごす環境で子ども達の発達や成長を見守っていて興味深いことがあります。それは、小さな時に甘えんぼうの子ほどそれをしっかりと受け止められると、大きくなった時気がつけば小さな子の面倒を大変よく見るようになっていることです。だから私は甘えんぼうで少し手がかかりそうな子や普段あまり甘えない子が甘えている状態を見ると安心したり、嬉しくなったりします(笑)。幼児は環境の中に受け手がいれば甘えんぼうであるのが本来の自然な姿であり、保育所保育指針にも書かれている通り6歳でもそれに対する温もりある受容が必要です。

マズローの欲求階層説では、生理的欲求→安全の欲求→所属と愛情の欲求→社会的評価(承認)の欲求→自己実現の探求へと、欲求が高次へと移り変わる順を説明し、欠乏性のある欲求であるが故にそれが満たされないと高い欲求階層へ確実に上がっていかないことを示しています。私は、現代の幼少期の子ども達においては特に「所属と愛情の欲求」に注目しています。逆に言えば、家庭や園、社会も現代では環境的にそれに対する受容が不十分で社会的評価・承認への欲求意識づけばかりが優先しがちだからです。急ぐあまり大きくなった時に心の安定や拠り所に欠け、弱々しい意欲しか育っていない傾向にあるのが現代であると感じます。これは欲求階層説の根拠だけでなく、心の安全基地を基礎とするアタッチメント理論でも説明ができます。

シンプルに最初の質問に戻ります。「甘えさせるのは何歳ぐらいまで大丈夫ですか?」に対しての回答は『子どもが求める限り何歳まででも』です。子どもは満たされれば子どもの方から勝手に離れていき、どんどん外へ外へと向かっていきます。ある子には4、5歳であり、ある子には9、10歳かもしれません。そして正常であれば誰でも時々はリターン(幼児がえり)をします。最近では驚くことに小学校高学年の先生たちからも「子どもが抱っこして~」と言われて困ったり、持ち上げて“高い高い”をしたりすると、とても嬉しそうな顔をするという話をよく聞きます。それを聞くたびに子どもの心理における土台の不安定さを心配に思い、幼児たちにはもっともっと愛情で満たしてあげなければと感じます。

スキンシップ文化のない日本ではおんぶや抱っこ、添い寝などが母子密着の役割を果たしてきました。逆にそれらの習慣がない欧米では人前でも親子がよくハグをしたり、顔や頬をすり寄せたりと密着しています。今の日本ではかつての日本の習慣とだけでなく、欧米の習慣とも違い、身体的な密着の少なさが影響を与えていることもあるのではと感じます。

大人で魅力的な人は、格好つけずに周囲の人の力を借りられたり、自然と周囲から慕われて支援が集まるような人です。何でも自分一人でやってしまおうとする人とどちらが魅力的でしょうか。どちらが“自立している”と言えるでしょうか。どちらが社会で幸福になる確率が高いでしょうか。支援を求めることにも躊躇しない前者のような姿勢や自分は周囲からも愛されると思える自信は、他ならぬ子ども時代に甘えたい時に甘えられた経験を持っているからではないでしょうか。甘えないことを褒められて育ったような子は自分でできることが多少増えても、成長していざという時に人を頼れなかったり、自分の小さな世界に塞ぎ込んでしまったりします。
子どもが甘えてくれるのも人生の中でごく短い期間です。小学生でも恥ずかしがらずに受容をしてあげれば発達段階的にはまだ間に合います。この記事を読んで子どもが甘えてきた時に少しでも心が軽くなり、その時期を割り切って楽しもうとしてくれる方が増えれば大変嬉しく思います。


伝統文化に親しむ 「茶室での茶道」

いつもお世話になっている茶室の入口にはお正月柄の扇子が飾られていました。室内に入ると子ども達は様々な飾り物に目を遣り、「きれい~」と言う言葉が自然と多くの子から聞こえました。
「あけましておめでとうございます」と元気よく挨拶をすると、お茶の前にいただくお菓子として『花びら餅』が出されました。お正月だけに出される、ごぼうが入ったこの桃色の和菓子は子ども達に印象深いようで卒園した子たちからもそのお菓子が美味しかったという話を聞きます。その花びら餅がのったお皿は「羽子板」の形をしており、そこにも子ども達がお正月を実感するものがありました。
先生が鉄釜の前でお茶を入れる様子もじっと見ている子が多く、何回か来たことがある子たちは作法や意味にも興味を示し、自分から質問をしていました。先生の着物の柄は『雪の結晶』、ふくさには今年の干支である『羊』の絵、水差しの陶器には『七福神』、蓋は『打ち出の小槌』、室内の飾りにも『鶴』や『獅子舞』など、先生がひとつひとつ丁寧に説明してくださり、子ども達は興味津々で感動を言葉で表現する場面もありました。
茶室は季節感や文化を楽しく学べる“学びの宝庫”でもあるといつも感じます。子ども達からの気づきも沢山あり、柄杓(ひしゃく)の置物の三方(さんぽう)は「あっ、鏡餅がのっているものと同じだ」という声が出たり、先生が七福神のお話で「一人だけ女の神様がいるの分かる?」と言うと「見つけた!」と注目する等、大きな子たちは主体的な姿勢でやりとりを楽しんでいました。
茶道でもう一つ興味深いのは、例え引率した援助の先生であってもいつでも大人が優先であり、良い場所、良い茶器を提供され、順番も子どもより先であることです。私たちとしては立場上少し気後れしてしまうのですが、茶道の先生はそこは譲らず、まず私たちに丁寧な対応をし、その間子ども達はそれを見ながら待っています。日頃の園生活や活動で先生が子どもより優先で先生のために子どもを待たせることはないので新鮮でもあり、また、そのような機会も偶には子ども達にとってよいものと感じます。
抹茶は大人と同じ味でやや薄くしただけにも関わらず、みんなが「美味しい」と飲み干していました。茶筅でお茶を点てる時も力をうまく抜きながらまわすことができました。帰りには子ども達から笑顔で「ありがとうございました!」「また来たい!」という声が元気よく上がり、貴重な学びの機会に大変有難く思っています。年少の子たちは様々なことを感覚でとらえ、年中や年長の子たちはそれに意味づけや新たな気づきへと発展させる等、自ら学びを深めようとする場面が多く見られました。


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author

橋井健司。保育士・研修指導講師。新教育デザイニング株式会社 代表取締役。社会福祉法人の監事。

著書
「世界基準の幼稚園~6歳までにリーダーシップは磨かれる」
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