幼児教育とグローバル基準の保育

幼児のファンタジーな世界と無限の可能性。小さな発見やフローの積み重ねからイノベーティブな未来を創る。有能感を持った自立した人間として、生涯を通して学び続ける資質を持って成長できるよう、今しかできない幼少期の土台作りを支援します。



「運動会」をしない理由

清々しい秋らしい天気の日が続いています。子ども達にとっては長い夏がやっと終わり、一年で一番快適に伸び伸びと外遊びを楽しむことができ、心身の発達が促される時期です。
しかしそんな中、秋に運動会がある多くの幼児や児童はその自由を拘束され、毎日毎日“練習”に時間が費やされます。「やだー」「やりたくない」と言える子や言う子はまだ良い方であり、先生の情熱や親の期待に応えようと多くの子が自らその型にはまろうとします。「子ども達が楽しんでいるから大丈夫」という教育者もいますが、そのような心理が前提にあることを意識し、また、受け身で楽しんでいることと自らが主体的に環境に働きかけて楽しんでいることでは、教育価値において全く違うという基本も思い出して欲しいと思います。
「運動会」は子どもの情熱を大人が汲んでいるというより、大人の情熱を子どもが汲んでいると言えるのではないでしょうか。日本で小中高という長い学校生活を送る上ではそういう大人の情熱や感情を汲めるような子の方が過ごしやすいかもしれません。逆に言えば、幼児期に行う「運動会」の練習は、日本の小中高の学校生活に適応する上での事前訓練として優れた手段でもあるかもしれません。しかし一方、日本もこれから主体的に学習できる子を育てようという教育方針の転換点にある時、そのような習慣は有効でしょうか。今既に大人になって社会に出た時、ギャップが大きいのはこのような点にあるのではないでしょうか。文部科学省の推進するグローバル人材の育成、または生きる力の強い人間を育てるには、根本的にこうした行事のあり方こそ見直さなければならないと感じます。日本の行事は見る側の保護者にとってはたった一日のことですが、子どもにとってはその前一ヶ月ぐらいの学習様式(学びのスタイル)を支配するものであります。

私の園でも毎年、マイクなし、BGMなしの環境の中でスポーツ行事をしています。親子で運動遊びを楽しみながら“競争”と“共創”に親しみ、家族間の交流を促進することを目的に開いています。運動を目的にした集まり自体を否定する気は全くなく、それどころか昨年は組体操を行い、今年はバルーンも上げます。それなら「あまり『運動会』と変わらないのでは?」と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、前提が全く違います。行事の前提が、(大人が主導する)行事を通して自発的な協調性や団結力が育つことはないと考えるため、“みんな一緒に同じことを”という束縛がありません。また、“ショー”としての機能を排除することで無駄な時間を費やさなくて済みます。保護者の皆さんに与える一時的感動は少なくなりますが、逆にその分、子ども達は一年で一番過ごしやすい秋の時期に一ヶ月間伸び伸びと過ごすことができます。9、10月は集団生活が軌道にのり、保育士や教諭も子ども一人ひとりと信頼関係が出来、それぞれの特性が見え始めたり、新たな分野で力を発揮し出す姿も表れたりする時期です。心身共に成長期であるこの時期に適切な環境を与え、子どもに健全な成長を促すことで保護者の皆さんとは喜びを共有したいと思っています。


以下は、園の保護者の皆さんにスポーツ行事の主旨を説明するため、毎年お渡ししているプリントから抜粋したものです。


なぜ「運動会」と違うの?
「運動会」での子どもの姿は確かに感動的ですが、その姿を見せるまでの過程には子どもよりも大人が主体となって形をきめ細かく指導し、自発的ではない受け身的な練習を続ける毎日があります。当園では子どもがどんな場面でも内発的動機づけで自分の興味を発展させ、自分で工夫する努力の積み重ねが楽しく、労苦ではないと感じる資質を持って幼児期を終えることを最も大切な目標にしています。運動能力面における成長や成果については、このフェット・デュ・スポールではなく、「発達における到達度レポート」および体操活動の公開日(年2回)にて、そこで説明させていただいております。


それで「協調性」や「競争心」は大丈夫なの?
遊戯や行進、整列でみんなに同じ動きを訓練することが「協調性」を高めることになるでしょうか。協調性とは他人の感情を自分に置き換え、自分と違う他人と共有、共存できる部分を繰り返し見つけようとする作業から生まれます。日本では教育関係者までも「協調性」と『同調性』の区別がついていないことが多い現状です。
「競争心」は煽らなくても誰もが持っている生存本能プログラムです。自分が積み重ねた実力もない段階で人に勝つことを褒められたり、喜ばれたりすれば常に自分より弱い相手を探すようになります。当園ではどんな場面でも“昨日までの自分に挑戦し、自分に勝つことが楽しい”と感じる「ラーニングゴール志向」を大切にしております(それが、結果的に多くの人に勝つということにもつながります)。将来大きな世界で競争する時のためにも評価の軸を他人との比較ではなく、自分自身に持てるようにしています。



300mの登山 年長

「年長になったら登山に行く!」と、年中の園児たちは一年前ぐらいからワクワクしています。2回目の登山は300m。1回目に登った公園の敷地内にある100mの山とは違って事前に親御さんと一緒にトレッキングシューズを購入したり、電車とバスで2時間近くかけて向かうことを聞いたりする中、年長の園児たちの期待度は日に日に高くなっていました。当日の朝はいつもとは違う緊張した顔つきや勇ましい顔つきが見られました。昨年の年長児も初めての登山の時、嬉しい気持ちと共に「なんかドキドキする!」と言っていました。昨年は行きの電車とバスで、はしゃぎ過ぎて乗り物酔いをし、登山前に休憩するという出来事がありましたので今年はバスや電車の乗り方に細心の注意を払いました。電車の中ではトレッキングシューズの裏側を見せ合ってなぜ登りやすいか考え合ったり、富士山やエベレストの高さについて話し合ったりもしました。「富士山は15歳ぐらいになれば登れるんでしょ?」とやはり今年の園児たちも富士山は特別な存在のようです。

バスを降りてしばらく歩くと、これから登る山が見えました。「あの山のてっぺんまで登るよ!」と言うと、園児たちは急に目を輝かせ「よ~し登ろう!」と元気な声を発しました。
当日は予想以上に熱く、一枚脱いで薄着で登り始めました。念のために持参した保冷剤も役に立ちました。ただ、膝下は昨年や下見の時にはいなかった「ヤマビル」が何匹も何匹も繰り返しズボンにつき、半ズボンでなくてよかったとホッとすることがありました。山道にはドングリが緑色で帽子がついたまま無数に落ちていたり、珍しい木の実や栗まで落ちていたり、園児たちは森の中に引き込まれるように進んでいきました。
しかし、登っても登っても同じような景色が続くと、体力では劣らないはずの女の子の方が先に「もうダメ~ハァ~」と気力が落ち、一方で男の子は頂上を目指すことそのものに充実感を感じるように「ぼくが先頭いくから!」と自らリーダーの役を買って勇ましく先頭を歩き始めました。どちらかというと女の子は“頂上でお弁当を食べたい”ということをモチベーションにしており、男の子は“頂点に立ちたい”ということがモチベーションになっているうようで、男女差として興味深く感じました。(途中で疲れてきた時、女の子には「ここでお弁当食べるより、景色のいいところで食べたいよね」の方が効果があり、男の子には「今日、〇歳で頂上に登るのは君たちが一番かな!」の方が効きますので、お子さんと登る際には是非参考に試してみて下さい)

汗をかきながら頑張って頂上につくと、男の子は頂点に立ったこと自体を喜び、女の子は頂点の価値よりもそこから見える景色に喜んでいました。共に今まで見たことのない、まるで表彰台の上に立ったような笑顔で喜び合い、大きな声で「ヤッホー」を何回も言った後は、「お母さんお弁当ありがとう!」「お婆ちゃん・・・有難う!」など、自分のありのままの感情をお腹から力いっぱい声を出して叫んでいました。普段自分の本当に好きな人に本当の気持ちを恥ずかしくて言えないのは、もしかしたら大人だけでなく子どもも同じなのかなとも感じました。
山頂でお弁当を食べる子どもの表情は、昨年同様、普段はあまり見ることのない、突き抜けたような爽快感を伴っていました。この表情を見れただけでもこの子たちと一緒に来れて本当によかったと感激します。親御さんと一緒に登山をする楽しさと、親御さんから離れて自分たちだけで登山する楽しさや達成感は違うというのが子ども達の表情から感じます。
下山は上りとは違うコースで下りましたが、やはりリーダーシップは男の子がとってくれました。好奇心のまま果敢に先へ先へと進んでいき、「かまきりがいるよ!」「これ、何の実だろう?」と周囲を見る余裕もあり、発見したものに対して仲間にも気づきを促すきっかけを作っていました。
終着地点には登り棒やうんてい等の遊具のある公園がありました。気力的に疲れていた女の子は生き返ったように「遊んでいい?」と走り出し、遊具では再び男の子を圧倒しながら全身で遊び始めました。それでも、翌日の報告会(年中と年少の園児へ登山の感想をお話する会)では「〇〇くんがリーダーになってくれた!」と嬉しそうに男の子を称える女の子の姿がありました。男の子が女の子を大事にしたり、女の子が男の子を尊敬したりする姿は普段あまり見られないので登山を通じて素敵な体験ができたとも思いました。協調心のベースである子ども同士の相互承認や信頼も増したようです。
園に帰った時は、年中の園児たちが目を輝かせながら年長を取り囲み、「どうだった?」と聞いていました。年中の園児たちは「次は自分たちの番!」と今から一年後を楽しみにしているようです。
年長の登山は次回11月の600mの山で最終回となり、“行きたい子”だけが行きます。300mというものがどんなものか身体的によく分かったことと思いますので、「行きたくない」というのも尊重すべき意思です。挑戦心も意欲も十分に育っている段階なので行くも行かないもどちらも温かく受け留めます。

あと数か月で終わる幼児期最後に大切なことは、大人が提示したものに自分の身体的な意思に反して頑張ってついていくことではなく、自分の意思による選択に自信と責任を持つことです。この秋、運動会の組体操でたくさんの重軽傷を負う生徒が出ているという報道があり、悪いのは教職員側に間違いありませんが、自分の意思を表明できない子どもたちにも胸が痛みます。子どもには何の責任もありませんが、大人に無理な要求をされた時に無条件で従うような素地を育んではならないと思っています。そんな時には意地でも拒否する子になって欲しいと願っています。

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祖父母さんの「力」

園の祖父母歓迎日には11名の方々が参加して下さいました。お手玉、福笑い、コマ、だるま落とし、あやとり、かるた等の遊び道具を用意し、園児たちと一緒に遊んでもらいました。懐かしいものをお持ち下さった方もいらっしゃいました。
毎年、驚いていることですが、この日はどの子もとても落ち着いて穏やかです。普通知らない大人が沢山いると固まってしまう園児も多いのですが、緊張している子は全くいない様子で、それどころか和やかな空間を心地よく感じているような姿ばかりです。小さな園児たちも遊びに夢中になっていました。
日頃、コマやあやとり等は職員が教えてあげようと声をかけても、中々気持ちがのらない(のせられない)ことが多いのですが、この日はたった1時間の間に初めてコマ(紐付き)を回せるようになった子が何人も出ました。あやとりを自分から「やりたい!」と初めて挑戦してみようとする子もいました。子ども達が主体的に学ぼうとする姿に、おじいちゃん、おばあちゃんの力は本当に凄いと改めて感じました。
最後は、国語の先生をしていたお婆さまが「桃太郎」のお話を手づくりの小道具を持参して実に表現豊かにして下さいました。お礼に園児たちが歌をプレゼントし、年長と年中はお誕生会で見せた「きのこ」の歌に自分たちで考えた役(女児はピンクきのこ、男児は毒キノコ)のお面をつけて、体全体で表現しました。
昨年も書きましたが、祖父母の皆さんには子どもの主体性を引き出し、それを伸ばすことができる不思議な力があるものと敬服し、園で勤務してくれている60代、70代の職員をみても同じように感じます。教育援助のことだけを考えれば、歳を重ねることが楽しみとさえ思うことがあります。これからの超少子高齢社会ではお孫さんがいないご高齢者の数も著しく増加することと思います。生きがいは人それぞれですが、お孫さんでなくても、“自分は子どもの成長には不可欠な存在”と、それが生きがいの一つにもつながってくれるといいなと感じます。子ども達のためにも益々明るくお元気でいていただきたいと思います。


伝統文化と食育 『味噌づくり』

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栄養士の先生が煮込んだ大豆を園児たちが大きなボールの中でギュッ、ギュッと力を込めてつぶしました。「いいにおいする!」と大豆から湯気と共にプーンと香る自然のにおいに気付いたようです。「一口ずつ食べてみよう!」と先生が言って、子ども達が指でペロッとすると「あまーい!」「クリームみたい!」などの声が聞こえました。年長と年中グループの園児たちに栄養士の先生が「砂糖が入っていると思う人?」と聞くと、ほぼ全員が「は~い」と挙手しました。「砂糖は入ってなくて大豆の自然な味なんです」と先生がいうと、みんな驚きの表情を見せました。


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次に、米麹と塩を手でまぜ合わせました。不思議な感触に恐る恐る混ぜ合わせる子もいれば、豪快に混ぜる子もいました。年長の手さばき(手指の器用な動き)が目立ちました。

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次に、つぶした大豆に混ぜ合せた米麹と塩を入れ、更に手指でこねこねして混ぜ合わせました。数人で協力し合っても、それぞれが握力や手指の力を十分に使わないと出来ないものです。男の子たちが活躍していました。栄養士の先生が混ざり具合をチェックすると「さすが大きい子たちのグループ!」と、年長年中グループは大人があまり手を加えなくてよいレベルまで完成させていました。


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大豆を煮込んだ際に出た栄養価の高い煮汁を皆さんに飲んでもらいました。「おいしい!おかわりしたい」と言う子も沢山いました。小さな子も喜んで飲んでいました。

最後は柔らかい粘土のようになった味噌になる前の大豆を手で丸め、団子状にして甕の中に“投げ入れ”、“パンチ”をします。投げた後に、「アーン、パンチ!」と男の子たちがアニメのキャラクターに成り切って特に楽しそうでした。


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午後の活動では、味噌づくりから関心を発展させ、大豆から出来ているものについて、年少は先生の手作りカードで学び、年長と年中は全員で話し合った後、ペアになって自分たちで意見を出し合って選んだ「醤油」「納豆」「豆腐」「油揚げ」などを絵で表現しました。

味噌づくりは年齢に合わせてすべての幼児が親しめる活動で今年も全員が積極的に楽しそうに取り組んでいました。最初から最後まで、手触り、匂い、味、色、音の五感がフルに稼働する活動でもあります。

以下は、活動を指揮した栄養士の先生の指導手記です。

「今年も年に一度の味噌作りを行いました。味噌にはいろいろな種類がありますが、当園では米麹を使った「米味噌」を作りました。子ども達はどの子もとても集中しており、最後まで楽しく、クッキングをしました。
粘土よりも柔らかく、形もつくりやすかったようです。味噌は発酵によってアミノ酸(蛋白質)がたくさん増え、その他、炭水化物、脂質、ビタミン、ミネラル、食物繊維など様々な栄養素が含まれます。ご家庭でも一日一汁飲んでみてはいかがでしょうか。来年3月には、皆が作ったお味噌で味噌汁を作ってみたいと思います。」



英語教育について(幼児期)

“中学、高校と英語の成績が良かったのに英会話ができない・・・”こんな経験をされた大人が日本には多いことと思います。私もその一人でしたので現代の親御さんが“英語は幼い時から学ばせないと”と焦る気持ちも大変よく分かります。幼い時期から英語という異言語に触れること、肌や目の色が違う異文化をもつ人と過ごす機会を持つこと等は決して母国語の習得に害のあることではないと思います。

一方、園で子ども達の姿を見てきて、どの年度、どの子たちにも共通する興味深い姿があります。それは4歳ぐらいまでは「英語の時間、楽しい!」と言っていた子たちが、次第に母国語(日本語)の感受性が強まり、母国語で考える力がついてくる5~6歳になると「英語の時間、つまらない(ハァ~)」に変わってくることです。先生が変わっても同じです。発達段階としては直観的思考に具体的操作思考が混ざり始め、後者が優位になっていく時期にあたります。現在は年長から英語の指導スタイルを、操作思考をベースにした全く違う内容に変えることで意欲を下げずに対処できていますが、それでも月3回ぐらいが限度でそれ以上行えば子どもが意欲的に取り組むことは難しく、また、この時期の子どもに必要な他の時間を削る価値があるとも感じかねます。


両親が家で子どもと日本語で会話し、家も園も生活言語が日本語であるならば、幼少期における第二外国語の学習効果は極めて限られていることと思います。日本は香港やシンガポールのような国とは住環境が違います。


英語学習については、子どもの発達段階や日本人であるということ(日本語脳が育っていること)を前提に学習法を考えている指導者のもとであれば、決して無駄とは思いませんが、一方で慌てる必要もないと思います。
その上で逆にもっと真剣に“慌てるべき”と感じるのは、中学、高校の6年間です。私たちは6年もの“長期間”学校で英語を学んでいます。6年学んで会話などの実務能力が身につかないのは日本人だからではなく、指導方法が根本的に間違っているからです。生活を完全に日本語で行い、より深い思考を日本語でしながら同時に“英語脳”を作れるのも、発達段階が形式操作思考(11、12歳~)に入るこの時期からだと思います。この時期に日本語脳のまま英語を学ばせ続けられているのが現在の学校英語です。
また、別の視点として、子どもは13歳ぐらいになると、自分から遠い存在の人や物事に対しても権威的な憧れを感じる発達段階に到達します。子どもに最も影響を与える人間の存在が身近でしかなかったこれまでとは違い、外へ外へと広がる時期です。知らない色々な人とコミュニケーションしたい、英語が上手になりたいと自分から意欲が湧いてくるのもこの時期からです。
指導者については、ネイティブというだけで効果があるのは母国語の感受性が敏感になる前の4歳以下か、逆に英語脳が十分に育ち、高い英語力を身に付けてからだと思います。日本語脳が育ってからの英語学習はネイティブ信仰ではなく、日本人や日本語の特性をよく理解している指導者のもとで行うのがよいと思います。

最後に余談ですが、高校時代に英語の成績がひどかった友人が、大学を留学してから英語を猛勉強し、今、外資企業で社長をしています。語学力の低い学生が留学してから英語を学ぶというのは、普通は一番失敗しやすい最悪なパターンです。そんな友人に先日「なぜ奮起できたか」を興味深く聞いたところ、「幼いころ、毎晩寝る前に、ふとんの中で母親と一緒に英語の本を読んで凄く楽しかったこと、そして自分は得意だったという感覚が強烈に残っているから。中高の時は授業がつまらなかったから勉強しなかっただけ・・」と、驚きの返事がかえってきました。ちなみにそのお母さんは英語を全く話さない純粋な日本人です。

語学に限ったことでありませんが、幼少期には何が出来たかより、何が楽しかったかの方が実は重要である場合が多いものです。援助は必ずしも専門家である必要はなく、親の存在も大きなものです。上の例でも分かると思いますが、「楽しかった!」という情動的な体験は身体の中に確実に組み込まれ、揺るぎない肯定感として自分の中に宿ります。

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author

橋井健司。保育士・研修指導講師。新教育デザイニング株式会社 代表取締役。社会福祉法人の監事。

著書
「世界基準の幼稚園~6歳までにリーダーシップは磨かれる」
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