幼児教育とグローバル基準の保育

幼児のファンタジーな世界と無限の可能性。小さな発見やフローの積み重ねからイノベーティブな未来を創る。有能感を持った自立した人間として、生涯を通して学び続ける資質を持って成長できるよう、今しかできない幼少期の土台作りを支援します。



心が成長するアート活動

先日、アートの先生が「ここ(アトリエ)に来ると、学校での悩みやお友達と嫌なことがあったと子ども達から話を始めることもあり、みんな話が終わると黙々と作品づくりに取り掛かり、やり遂げるとすっきりして帰るんです」と言っていました。
自分なりに表現することは心の浄化作用も促し、気分がよくなります。心が浄化するとありのままの自分に自信が湧き、再び現実の世界へ向かう勇気も湧きます。自分の中にある豊かな感性やファンタジーの世界を表現できることは、心を強くすることにもつながっています。
今日はそのアートの先生が来園しての絵画活動をしました。モチーフは「あじさい」です。以下に先生の指導手記をそのまま掲載します。

・潤いのある色合いの『あじさい』を庭からとって、手作りの花瓶に挿してみんなで楽しむ。
・♪『あじさいてまり』♪あじさい、あじさい、はなてまり、かぜがひとつ、ふたつ、つきました。トン・トン・トーンを歌い、淡い色の絵の具をいくつも並べる。
・今日は絵の具だけで描く。あじさい、うみ、カラス、うさぎ、道路、あひる・・・、子どもらしく、色からもイメージが発展していく。
・6月になって、子ども同士の和も生まれ、落ち着いて話も聞けるようになっていますね。


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「敏感期」 マリアモンテッソーリ

幼少期の子どもにはある特定の時期に特定の遊びや学びにのめり込み、それに全力を尽くすとその興味は消え、また次の対象へ移るということが起こります。マリアモンテッソーリは、このようにある特定の事柄に対して強い感受性が現れ、敏感になる時期を「敏感期」と呼び、“本能が、発育のある段階に、その生き物に精力の消費を強制する”としてそのメカニズムを説明しています。

幼児期には運動や言葉、感覚、秩序など様々な領域でこの特別敏感な状態を自ずと迎え、それに見合った環境が与えられると、子どもは内発的な欲求に従って時に爆発的なスピードで驚くほどの力を発揮しながら特定の能力を獲得します。教育は「環境が大事」とよく言われますが、この言葉が使われる時、子ども側の発達段階はあまり考慮されないことが少なくなく、敏感期とかけ離れた時期に環境を与えてしまうようなことも起こしがちです。モンテッソーリは、成長そのものを「周期的にあらわれる本能によって細心に導かれる内面的な努力の結果」と説明しています。つまり、環境との相互作用というのは本能による発達段階が“レディ・ゴー”の状態に来ていなければ十分には起きないというものであります。

子どもは大人からすれば一見どうでもよいというようなことに夢中になりますが、先入観なしで観察すると何かの能力を獲得するための衝動であったりします。子どもが今自分の力で獲得しようとしている能力に気づかず、敏感期に見合っていない環境を与えるのは大変もったいないことでもあります。能力を受け身で獲得することを覚えるだけになってしまいます。子どもを伸ばすのは、まず子どもが興味を持っているものを信じることであり、好きなことを気が済むまで行い尽くすことが出来れば、興味の対象は新たな能力の獲得へと移ります。



やまのぼり

年長独自のプログラムとして、今年から「やまのぼり」の計画を入れました。今年の年長児が初めてで過去に先輩の園児が行っているイメージがないので意欲を出してくれるかどうか少し心配でしたが、提案した瞬間に「やりたい!」という声が上がり、何日も前から楽しみにしていてくれました。

自信と意欲を大切にしながら“数字を積み重ねることを身体で楽しんでもらいたい”という目的で、往復の交通や徒歩の時間なども考慮して約100mの小さな山からスタートしました。それでも幼児にとっては「100」という数字は特別感があり、何日も前から興奮気味でした。行きの電車では園の先輩たちに前例がないという体験から「少し怖くなってきた。。」という声も聞こえましたが、山を登り始めると「(林の中で)ヒンヤリして涼しい!」と、思った以上に快適で足がどんどん前に進みました。頂上の展望台では天気の都合で富士山が見えないながらも「今度登る山は何メートル?富士山は何メートル?」「行ってみたい」等、今までになかった様々な質問が出てきました。数字の大きさや倍数がまだ分からない中、身体感覚でその数字を想像する表情には夢がぎっしり詰まっているようでした。

次は秋に今回より電車に乗る時間も徒歩時間も長く、少し高い山に登る予定をしています。いきなり高い山に力を振り絞って登ることも意味があると思いますが、子ども達が数字を身体感覚で楽しく意識しながら、その積み重ねる過程の楽しさや自信を感じ、その他のことへの興味も広げてもらいたいと思い、少しずつ高いところへと思っています。園に帰ると年少の子たちが「おかえり!」と尊敬の眼差しで年長児を迎え、自分たちも年長になったら連れて行ってくれるかと迫られたことは予想外の産物でした。異年齢合同の環境では年長児はみんなから尊敬され、責任感と共に自分を肯定できる強さもより備わっていきます。今年度まだ9ヶ月あると思うとこれから先本当に楽しみです。

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「母の日」「父の日」が子どもにもたらすもの

毎年「母の日」「父の日」という日があることにその良さをしみじみと感じております。小学校へ行くと大抵学校の授業に絡めては取り上げられなくなるのでぜひ幼児期にと思いますが、現代では家庭環境が多様化する中で幼稚園や保育園でも敢えてそのような機会を持ち込まないところも増えておりますので、実施するにも配慮が十分に行き届くよう心がけたいものです。

「母の日」「父の日」を園の表現活動に取り入れて最もいいなと思うところは、“子ども自身の気持ちを表出する機会を与えられる”と感じることです。親の大切さを教えようとしたり、感謝の気持ちを起こさせようとする働きかけも間違いではありませんが、それは大して意味がないと思っています。

子どもは園や学校にいて楽しんでいる間は親のことは忘れていると思われがちですが、いつでも心の支えとして親や兄弟姉妹の存在を心の中に抱えています。親の側から見ると、日頃十分な時間を持って関われていないのではなかろうか、親として十分な役割を果たせていないのではなかろうか等、自分の足りなさを心配したり、責めたりすることも多いと思いますが、子どもからすれば関わる時間が長くても短くても、毎日会えても会えなくても、毎日何回叱られても、“世界で一番好きな人”であることには変わりなく、それを堂々と表現できる機会があることは喜ばしいことです。中には手が届かない状況の中に親の存在があったり、或いは親が他界していたりするような環境にある子もいると思いますが、幼児のファンタジーな心の世界ではそのような状況下でも近い距離で生き続けていることが多いものです。この時期の子どもはファンタジーな世界と現実の世界を行ったり来たりしており、保育者はその世界観の中で個別に工夫をして援助するようなことも大切な役割です。この時期の子ども達にすべてを現実の中だけで対応したり、考えさせたりすることは間違った方法でもあると思います。

家庭だけでなく、宗教、身体、価値観など現代では一人ひとり様々な背景や事情がありますが、それを一概に“可哀そうな子がいるから”と捉えてみんなで何かをやめようとすることは、むしろ“みんな一緒”という括りのもとに不幸的感情を生んでしまうと思います。一方向から見ればハンデに感じることでも別の方向から見ればそうではないと気づけるような機会を与えることも、援助職としては大切な役割です。それぞれが違う環境の中にいることをありのままとらえ、全力で支援する方が“みんな違ってみんないい”と心の底から思える成長につながると思います。

母の日、父の日は、プレゼントをもらった親御さんが喜んでくれれば子どもにとって尚嬉しいですし、“自分のいないところでもこんなに考えていてくれたんだ!”と感じてくれれば親御さんにとっても有意義なことですが、たとえそれがなくても子どもの真っ直ぐな気持ちを素直に表出できる「自己表現」の機会として、子どものために価値あるものと思います。



「外遊び」と課題発見力

文部科学省が「生きる力を育む」ということを指導要領で重視する中、日本の小中学生における思考力や課題発見力の低さ、身体調整能力の低下などの問題が度々取り上げられています。私はどれも幼少期の外遊びの時間数や遊び方の方針とも大きく連関しているように感じています。実際に現代では園庭があっても外遊びの時間が短いという例が少なくありません。また、一度に長く取るべき外遊びの時間を行事の練習などを挟むために短い時間で区切ってしまうという話もよく聞きます。外遊びを短い時間で区切ってしまうと、遊びを深めることができず、集中力や思考力も伸びません。

時間だけでなく遊び方への方針も現代では大いに問題があると感じます。「順番に、右から左へ登る」「ここからこの範囲だけで遊ぶ」「すべり台の登りは禁止」等、遊び方に決まりが多すぎるのも現代の特徴であり、これでは子どもが自分で課題を発見したり、そこに至る喜びを感じたりする機会が制限され、課題発見力が十分に培われない状態になってしまいます。

外遊びの時間が短いのは職員の人数の都合に加え、怪我をさせないための配慮や行事の完成度を求めるために練習などが頻繁に入ること等、保護者配慮を含めた日本の制度や風習上とも結びつきが大きいので中々変えることは難しい部分があると思います。しかし、外遊びが足りていないことで結局、教育活動の成果も表面的なものしか出ないということでは後の問題を大きくしているにすぎません。怪我についても同様です。私たちは大切なお子さんをご家族からお預かりする以上怪我は極力ないようにするのが努めですが、だからと言って遊び方を何から何まで決めてしまって運動調整能力や自己防衛力が低い子にしてしまっては子どもやご家族のためになりません。

「生きる力の基礎を培う」は、文部科学省の幼稚園教育要領や厚生労働省の保育指針に近年になって新たに掲げられた大切な目標です。私たちはこれまでの風習や価値観とも真摯に向かい合っていく必要に立たされていると思います。



author

橋井健司。保育士・研修指導講師。新教育デザイニング株式会社 代表取締役。社会福祉法人の監事。

著書
「世界基準の幼稚園~6歳までにリーダーシップは磨かれる」
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