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3歳を過ぎると話し言葉の基礎ができ、関心や興味が高まって盛んに質問する等、幼児らしい姿がよりはっきりと見られるようになります。年少児はお友達への関心も増し、保育者を含めて周囲の大人からも幼稚園年齢のスタート期として相応しく見えます。
しかし、実際に「年少」の子ども達の自然な様子を観察し、発達心理や成長段階の観点から援助法をひも解いていくと驚くべきことが分かります。それは、「年少」は年長や年中の準備段階でも何でもなく、“全く次元の違う世界に棲んでいる”ということなのです。2~4歳までに必要な教育と、4歳~6歳までに必要な教育を同じ「幼児教育」という名称で呼ぶことは本来不適切であり、なにか新しいネーミングを考えたいとも思っています。

「年少」は著しい言語の発達から多くを理解できるように見えますが、実際には情緒は幼児とは呼べないぐらい未成熟であり、養育者(保育者や親)との一対一の関わりがまだまだ2歳児の延長で必要です。分かりやすく例えれば、年少は「幼稚園年齢」ではなく、「ナーサリーエイジ」です。愛着形成における必要な援助法を考えても、年少は年中との距離よりも2歳児に近いものです。生活において保育者の手はかからなくなってきますが、心はそれほどに成長していません。この時期に心にしっかりと愛着の土台をつくっておけば、幼児期の後期には驚くほどの成長を子どもが見せてくれます。逆にその土台が弱いと、例え知育面で先行する部分があっても力を発揮すべき時に出ないような不安定な状態に置かれます。
現在の幼稚園および保育園の職員配置基準では年少20人に対して保育者1人という苛酷なものになっており、よくても保育者1人で年少10人を看るような環境です。「年少」を年長や年中と同じレールの上で考えているからこのような設計がなされています。これではどんなに保育者が自己研鑚を積んでも適切な保育ができません。

「年少」はお友達への関心も増しますが、実際には同じ場所で同じような遊びをそれぞれが独自に遊んでいる場面も多く、一人あそび(平行遊び)や大人との一対一の遊びの方をまだ必要とする時期です。特に手指を動かしてやりたいことを気が済むまでやらないと、自分に対する自信が芽生えず、友達への関心ややりとりも弱々しいものになります。6、7歳になった時お友達との関わりが上手で人間関係にタフな子たちはほぼ100%、この時期には自分の世界観(ファンタジー)に没頭する遊びに夢中であり、あまり「お友達、お友達」と言わなかった子たちです。また、「年少」の後期にお友達とうまく関われないという子たちの9割以上の原因は(発達困難の場合を除くと)愛着未形成か一人遊び不足に落ち着きます。保育者や親は「年少」を年長や年中の前段階のように捉えてはならず、全く違う“ストラテジー”が必要なのです。海外の有名な教育法の名称で運営している幼稚園でも、「子どもは子ども同士で遊ぶことが大切」とほぼ放置しているような保育の話をよく聞きますが、果たして創始者は「年少」にそのような要求をしたでしょうか?

幼稚園も保育園も「年少」になると沢山の行事や活動があります。これにおいても「年少」は同じレールの上で設計してはなりません。子ども自身が年中や年長のやっていることに興味をもつことはいいのですが、だからと言って実在する形あるものばかりを想像させて作らせようとしたり、描かせようとしたり、急いではなりません。この時期にはこの時期にしか発達しない世界観があります。文字も読めないほうが想像力は広がります。


最後にですが、2~4歳も決して家庭にいればよいということではありません。この年齢にはこの年齢なりの「社会」が必要であり、園のような存在は成長に不可欠です。この時期に相応しい成長援助や制度の環境が整えば、幼児期の後期には著しい成長がみられ、よりよい就学期を迎えることにつながります。その後の人生でも大いに報いが得られるでしょう。私自身も異年齢保育を実践している中、常に環境や援助法への振り返りを大切にし、気をつけて参りたいと思っております。