幼児教育のねらいの一つに生命の尊さへの気づきや生命、自然の事象への豊かな心情を培うというものがあります。
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子ども達が公園の地面で羽化をしようとするセミの幼虫を見つけました。男の子たちは興味津々でずっと観察していました。残念ながら木から脱落したようで、ほぼ動いておらずそのままにしても踏まれるだけのため、持ち帰ることにしました。


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年長の男の子たちは友達同士や先生と一緒に図鑑でセミが羽化する様子と本物を見比べ、盛んに会話をしていました。同じページで30分以上も物語をつくったり、あり得ない世界を空想したり話し続けていました。

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翌日、悲しいことに、(やはり)死んでしまっていたことが分かり、年長児たちと土に埋め、お墓を作りました。幼児期の子どもは生命のあるものとないものの区別がまだ実際には発達段階においてできていません。悲しい気持ちを何とか持たせようというのはその点で間違いであり、この時に重要なのは近くの大人がどのような感情を抱いているかということになります。子どもは成長した時、自分の心からその時の大人の感情を模倣したかのように立ち戻り、引き出そうとします。(死についてどう思うか子どもに考えさせようとしたり、道徳的に教えようとすることは全く役に立ちません)

子どもがお墓をつくった後も生き返って別の生物になると信じている様子、いつ土から出てくるのかと真剣に質問する様子などは、6歳前後の自立したかにみえる日頃の姿からは想像し難い興味深い心象です。



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女の子たちもまた、公園では蜘蛛の巣を見たりしながら、しきりに小さな世界を探求しようとします。このような時も大人が小さな生命にどのような感情や好奇心を抱いているかが重要であり、表情からと対話を通じて子どもはそれを感じます。教育のために何を教えたらよいか考えたりすることは大切ではありません。また「命は大切にしよう」など、無感動に道徳的に教えたりすることもほとんど役に立たないことです。

今週、神奈川県で大変恐ろしい事件がありましたので、それに関連して生命の尊さについて、幼少期に子育て現場で大人が大切にすべきことを中心に据えて書かせてもらいました。ルドルフ・シュタイナーは、子どもは大きくなってから教師自身が気に入って共感したイメージにいつでも立ち戻り、小さなものを守護する感情へと発展させるものと説明しています。