日本を訪れる外国人観光客が年々増加しているようですね。生活の必要性で普通に英語を使う機会が増えることは、迎える日本人にとってよいことだと思います。今まで目立たなかった地方の地域なども訪れる外国人が増えていますので、もしかしたら、観光地となったところに住む地元の人たちは、都会で真面目に“受験英語”を勉強している人たちよりコミュニケーション能力は高くなるかもしれません。いずれにしても、20年後、30年後には「英語を話せます」程度の経済的価値はほぼゼロになるか、少なくとも現在の「(特別なことはできませんが)一応大学は卒業しました」程度の価値になるでしょう。

昨年暮れから、中国・アジアの企業と日本の企業の連携をつくり出すために設立されたベンチャー企業の監査役を頼まれ、月に一度、ミーティングに参加しています。現場を行き来している役員の話を聞けば、中国でも「日本語を話せる」程度では、現地でよい仕事は見つかりにくくなっているようです。通訳になるにしても、特定分野につよくなければ“買い叩かれる”対象になってしまうのは、外からみれば日本語も同じであり、語学だけでは不十分ということを肌で感じています。やはり、何かに没頭できる力や好奇心を自分で深められる自学自習力を幼少期にしっかりとつけておいた方がいいのではないでしょうか。そして、アイデンティティを確立していくには感性も大きな影響を与えます。

“グローバル社会では多様な価値観に共感できることが大切”とよく言われますが、実際には共感だけで関係が維持されるほど甘くありません。共感をするだけなら、他のだれかにいつでもとって変わられます。同じゴールを目指す感性をもっていながらも、“相手にはない感性”をもっていなければ、建設的な関係は生まれません。企業の役員が集まる会議では、私が「相手に共感するだけなら、5歳の子どもでも友達として対等に相手にされない」と言うと笑いが起こりますが、本気で言っています。

以下、子ども時代に「感性」を磨く絶好の機会です。日本人として、日本的なことが何もできなくても世界で生きてはいけますが、アイデンティティの中にその原体験による感性が組み込まれていると、ひと際注目される要素をもつことにもなります。日本人は日本人であることを本質的な面でもっと利用してもいいかもしれません。自分だけの世界観をもつ姿は、誰から見ても頼もしく、それが自然と身についているとすれば、生涯において最も有効に使えるパスポートとなるでしょう。


*週1回x二か月程度の稽古(場所は世田谷区) → 最後は「日本橋劇場」で! (はじめての日本舞踊/水蓮会)
はじめての日本舞踊