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選挙戦を通じて政策議論が盛り上がらず、開票速報でも政策の話題より、“次は誰を選ぶか”や“誰と組むのか”、“それは正しかったか間違っていたか”等のようなことばかりが報じられている。辟易している人も多いと思うが、果たしてマスメディアだけのせいだろうか。

マスコミは視聴率が取れることをするので、それが政策話題であれば各候補の政策に対する考えをどんどん取り上げる。国民の多くが政策の話を聞いてワクワク興奮するのであれば、インタビューアーの質問内容やコメンテイターのメンツもがらりと変わる。しかし、現状マスコミが注目しているのは「空気」や「風」であり、ある意味それに対しては選挙前も後も一貫性さえ保っている。

この「空気」や「風」ばかりに興味が湧くという体質はどこから来るのであろうか?仮に、“日本人はそういう体質だから仕方ない”とすれば、それはどこから作られているのだろうか。

私が教育の世界から社会と対比して見渡す限り、「空気」や「風」に敏感であるのは、既に幼稚園や保育園から作られており、小学校や中学校で更にそれを“成長”させてしまっているように思う。

日本の教育現場では『ゼロからの対話』を幼児や児童または学生としているだろうか。子どもや生徒が何も考えずに登園や登校をしても、一日のメニューや一週間のスケジュールがすべて決まっており、自分たちで決めるというものが極めて少ない。
「話し合い」をするという場合も、最初から暗黙の正解があったり、大人の決めた枠内で踊らされているだけだったりすることが多い。だから今回敢えて分かりやすくするために「話し合い」という言葉ではなく、『ゼロからの対話』と表現した。(最初に何かが決まっている前提で子どもの意見を聞くというものではなく、子どもと一緒に考え、つくり出すという意味のもの)。

“どうして算数を学ぶのか”、“どうして昼寝をするのか”、“どうして毎日時間割があるのか”あるいは“それ以外の選択肢はないのか”など、子ども時代に日常生活の中で『ゼロからの対話』なくして大人になってから政策議論にワクワクしながら参加できるだろうか。そこに当事者意識を持てるだろうか。受け身でいるなら空気や風に敏感な方が上手く生きていける。社会を共につくることに対する興味は社会見学をしたり、地域交流をしたり、あるいは授業で政治を学べば湧くというものではない。

著書では、幼少期の発達段階においては子ども同士の話し合いより、大人との対話の方が大切ということを詳しく書いた。小学校高学年や中学生になればその比重はもちろん変わるが「ゼロからの対話」の必要性は変わらない。子育てや教育に関わる方の多くの方にご参考いただきたい。