この1、2年、年長児たちの姿をみて特に驚くことがあります。小さな園児同士がひとつの遊び道具を取り合いしているのをみると、年長の園児はサッと近寄り、話し合いで解決しそうもないと判断すると、もう一つ同じ遊び道具がないか急いで探し始めます。決して「順番に使わなきゃだめでしょ」と言ったり、「悪いのはどっち?」と裁こうとしたりしません。
また、ひとつしかないものを取り合っている時は、どちらかの子にサッとそれを渡し、もう一人の子にその子が喜びそうな遊び道具を急いで部屋中から探し出して渡します。

小さな子が困っているときも、泣いているときも、その子が“どうしたいのか” “何が欲しいのか”を、年長の子どもたちはじっと観察し、言葉で探ってから対応します。決して、〇〇すべきという正解をもって指導的な導きをしません。“いつでも自分が出発点”という毎回私が説明会や講演で言っている援助のあり方が、既に職員を越えて年長児にまで浸透しているのは驚くべきことでした。年長児たちは、小さな子に対しても私たちがしがちな“チビちゃん”のようには扱わず、一人の人格(人間)として尊敬する態度をもって接していました。

年長児たちは自分が2、3歳の時に職員からそれと同様に援助されたからこそ、記憶になくても自分も自然とそれができるようになっているのですが、しかし、そのレベルが職員たちを越えてしまっています。職員も保護者もその様子には驚いています。この姿から、教育とはやはり教えるというものではなく、学ぶ側が自分で開発し、発展させていくものだと改めて感じます。

昨日は、大学・高校・中学の教職員の皆さんの前で講演をさせて頂き、他の講師の方々や参加された方々との意見交換もさせてもらいました。多くの方々が“どのようにしたら学びの場が有意義になるか” “どんな導きや教え方がよいか”に興味を持たれており、それはよいことだと思うのですが、私からすると、もう少し“子どもが何をしたいのか”に関心をもち、それを引き出すような援助や環境のあり方を考える姿勢も持ってほしいと思いました。

「生徒側に意欲がないんです」「やりたいことがないんです」という意見は、以前から中高大の先生からよく聞きます。しかし、そうであれば、生徒は毎日学校にいく必要はないかもしれません。

私の園の年長児たちは、4月、新入園の小さな子たち一人ひとりのやりたいことを見つけ出すために体も頭もフル回転させ、家に帰るとヘトヘトになって疲れていたと聞きました。もちろん、園がそのような援助を年長児に求めることは一切ありません。すべて、年長児たちが小さな友達を育てることに喜びを感じ、自主的に行っています。

すべての子どもは、自分の学びや興味を発展させる能力を本来もっています。「よい教師」「よい教材」ももちろん大切ですが、その前にやるべきことがあるのではないでしょうか。